紫式部クイズ&雑学-親友だったのは誰?紫式部日記おすすめ入門書も紹介
大河ドラマ『光る君へ』がもうすぐ終わってしまいますね。最終回は12月15日に放送予定、全48話だそうです。名残惜しい想いでいる人も多いのではないでしょうか。
源氏物語はあまりにも有名ですが、作者である紫式部の人柄や暮らしに関しては、今回の大河で初めて知った事実も多かったという人もいるでしょう。
そこで今回の記事は紫式部に関するクイズです。正解といっしょに解説も載せているので、紫式部の生涯をおさらいをしていきましょう。大河を見た人も見てない人も、ぜひ挑戦してね!
初級編
まずは初級編。大河ドラマにも登場した知識です。
第1問
紫式部が内裏で仕えていたのは誰?
- 娍子
- 妍子
- 彰子
- 定子
正解!
不正解…
A. 彰子
もう一度解く
第2問
中級編
大河ドラマではあまり紹介されていなかった事象について出題します。
第1問
紫式部とは親友で、局の仕切りを取り払って部屋を共有していたというエピソードが残っている人物は誰?
- 大納言の君
- 小少将の君
- 和泉式部
正解!
不正解…
A. 小少将の君
紫式部が内裏に入ってすぐ、人間関係がうまくいかなかったときも、小少将の君(こしょうしょうのきみ)は声をかけてくれたと言います。
小少将の君は天皇の血を引く一族に生まれ、彰子とは従妹にあたるのですが、彰子に仕える立場でした。
彰子が土御門邸(彰子の実家)に下がる際、紫式部と小少将の君は同室で、几帳(部屋の仕切り)を取り払って部屋を共有していたそうです。
大河ドラマでは福井 夏さんが演じられていました。確かに他の女房と比べると紫式部に対して好意的な立ち位置でしたが、そこまで親友と感じられるようなエピソードは描かれていませんでしたね。
大納言の君は小少将の君の姉です。紫式部とも仲が良く、出仕して数日で実家に逃げ帰ってしまった紫式部が、内裏を懐かしんで手紙を当てた相手です。
和泉式部も彰子に仕えていた紫式部の同僚ですが、紫式部は『紫式部日記』で和泉式部のことを褒めているような褒めていないような、微妙な批評をしていたそうです。
もう一度解く
第2問
平安時代の後宮などで催される、文学的な活動などを行う社交的な集まりのことを、現在では何と呼んでいる?
- クラブ
- サロン
- パーラー
正解!
不正解…
A. サロン
サロンとはフランス語で「大広間」や「客間」を意味する言葉です。
一条天皇は漢詩に精通しており文学的な才能に優れていたため、後宮でも高い教養が求められていました。
そうした環境の中で皇后や中宮が文学的な社交の場を主催するようになり、のちの世にこの集まりが「サロン」と呼ばれるようになりました。
定子のサロンはかなり華やかな印象で、のびのびと漢詩の話題を楽しんでいたようですが、彰子のサロンは上品で真面目な雰囲気だったそうです。
もう一度解く
紫式部日記を読むならこれ!
紫式部について知るために私が購入した書籍を紹介します。
一時売り切れになっていて、私は予約してなんとか手に入れたのですが、今は普通に購入できるようです。
こちらは『紫式部日記』をコミカライズした書籍です。紫式部についてもっと知りたいけど、いきなり難しい本を読む自信はないな……という人におすすめです。
ほとんど漫画で構成されていますが、たまに監修の赤間恵都子先生の解説文が見開きで入っていて、手軽さと詳しさの加減がちょうどよいです。漫画だけ読んでもいいし、余裕があれば解説を読んで、さらに巻末には原文の一部が載っていますので、ステップアップしながら学べます。
続編の更級日記バージョンも2024年10月に発売されていました!
まとめ
紫式部に関するクイズと雑学は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回の大河ドラマはとても面白かったですが、脚色している部分も多いです。藤原道長はあんなに一途ではなかったし、もっと出世欲に燃えてメラメラしているイメージを持っている人も多いですよね。
清少納言と紫式部がどの程度の面識があったのかは、学者の間で意見が割れる議題ですし、『紫式部日記』での辛辣な書き方を読むと、ドラマよりももっと良くない関係だったのではないかと感じられますね。
色々な視点からもっとこの時代のことを知りたいと思ったら、上で紹介した書籍なり、YouTubeの歴史解説動画なりを見てみると楽しいと想います。
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彰子は藤原道長と源倫子との間の長女で、一条天皇に嫁ぎました。
紫式部は藤原道長に文才を買われ、彰子に使えるために宮中に上がりました。
定子は藤原道長の兄・道隆の長女で、彰子よりも前に一条天皇の后となっていました。清少納言が仕えた人物です。
娍子(せいし・すけこ)は一条天皇の次の天皇である三条天皇が東宮(居貞親王)であったときからの后です。
妍子(けんし・きよこ)は藤原道長と源倫子との間の次女で、娍子よりも後に居貞親王に嫁ぎました。